2012年5月31日木曜日

決定的な立体証拠群が立証した都支国=川内市



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録11:31~32頁

 《決定的な立体証拠群が立証した都支国=川内市
 「決定的な立体証拠群が立証した都支国=川内市

 4 都支  高国造(志賀高穴穂朝)

 この国造も志賀高穴穂朝だから、やはり鹿児島王朝時代である。

 前のイジャと同じく当時は沖縄発音だった可能性を見逃してはいけない。

 沖縄語ではトはツかタになる。

 都支は to tieg =トチで、

 この3世紀のトチ国は、

 沖縄発音のトは後世の薩摩ではタになり、

 チはキになるので、

 今は川内市になっている「高城=タキ」に一致する。

 これを高国造と比較して見ると、

 鹿児島語では高・竹はどちらもタカ・タケという発音をもっており、

 タケは大隅発音で沖縄発音化してタキになるから、

 この「都支」と「高」とは同じものだと証明でき、

 同時にそれは高城という当て字でも同じだと立証できる。

 この地名には、

 もう1つ、忘れてはならない記録がある。

 それは卑弥呼が景初2年に魏に出した使者の1人、

 「都市牛利」である。

 支と市はどちらも

 漢魏音で tieg =チまたはチェグ、

 都支と都市は同じ発音への2つの当て字で、

 内容は変わらないから、

 都市牛利は都支国王を意味する名乗りだったのである。

 この人物は『記・紀』にも記録が残っている。

 崇神天皇の皇子・豊城入彦命である。

 都支をトキと読んで、

 豊城と当て字したものだが、

 その同母妹と書かれた豊鍬入姫命という名乗りも、

 トスキイリで、

 都市牛利=トシギウリと帯方郡使が当て字した同じ名乗りが、

 やはり原音だったことがわかる。

 するとこの兄妹は、

 夫妻にだけ許される同じ名乗りをもっている以上、

 彼等は兄妹ではなく、

 今の川内市の領主夫妻だったということまで、

 さらに確認することができる。

 その都市牛利は魏の都・洛陽まで行って、

 率善校尉という男性の官位を受けた人物なのだから、

 絶対に女性ではない。

 都市牛利が豊城入彦命だったことは間違いない。

 また「都支国」は、

 『魏書』には「郡支国」と書いてある。

 それは「 giwan tieg 」でギワンチまたはジュンチと発音できるので、

 後者をとって「ジュンチ=十の字」と仮定して候補地を選んだことがあるが、

 都支のほうにはご覧のとおり

 『日本書紀』にも『旧事本紀』の『国造本紀』にも、

 こんなにぴったりの記録があるのに、

 その郡支国には、合う地名はあるが、史実の記録がない。

 これは都支が正しく、

 郡支が都支の誤写または虫食いによる仮の当て字だったことを立証している。

 こうしてこの国の真相は

 『魏書』『日本書紀』『旧事本紀』の

 3つのパズルが立体的にしっかり組み合わさって、

 証拠が互いにささえあって始めて完全に解けた。

 一見、無駄にみえた国造本紀が、

 意外なほど決定的な証拠力を発揮した。

 文献史学の解明研究には常に徹底した比較検討が必要だということを、

 身に染みて理解させる何よりも貴重な教訓を、

 私たちはこれらの実例から深く学びとらねばならない。

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